ひとりで孤独に生きるなんてムリだからな?早いとこ頼れよな?

人は社会的な生き物だ。

一人で生きる事はできないし、一人で生きていると豪語する人は決まって他人に活かされている。

山にこもって生活している仙人みたいな人だって、使っているサバイバル道具は「だれか」が作ったものなのだ。 

 

最近、ふと「孤独ってこんなに辛いんだなあ」と泣きそうになることがある。

前職を辞めて仕事を転々とし、群れず、たまに仲良くなったかと思えば新しい職場に移っていってしまう。 

 

25歳のとき、神奈川県平塚市で働いていた。

住んでいた社員寮の近くにあった土手で、野良猫と遊ぶのが唯一の癒しだったのだが、ふと「なんか自分と似てるな…」なんて考えてしまい、少し感傷的になった。 

 

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昔から群れるのが苦手だった。

カッコよく言えば一匹狼だが、まあ単に協調性がなかったんだと思う。界隈感が苦手で、いつも新しい風を自分の中に吹きこんでいたかった。

関係が固定されると、当然似たような風が吹きこむ。

それが苦手だった。

友達がいないわけではない。遊ぶのも好きだし、親友と呼べる子も1人いる。ただ、結果的にいつも群れから離れて、一人でいることが多かった。 

 

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自分から孤独を選んでいながら、孤独が辛いなんて言ってる自分も冷静に考えたら滑稽だ。

それでも、やはり辛いものは辛い。

かといって、羊のように群れるのはもう一人の自分が許さない。

結局、自分が納得できるレベルに到達するまで、一人孤独にレベル上げを続けるしかないのだろうか。

最近は「きっとそうだ」と割りきっている。

ただ、変な被害者意識は24歳で捨て去ってきたのが唯一の救いだが、それでも孤独に生きるなんてムリだと最近悟りはじめている。

26歳、本気で自○を考えた。 

 

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本気で生きれば生きるほど、自分の無力さを思い知る。歴代の偉人がぼくに語りかける。 

「諦めてはいけない。必ずやり遂げるんだ」と。

ぼくは時に前を向き、そして時に震えながら中指をたてる。

だまれ、うるせえ。やらないといけないことなんて分かってるし、やるしかない事も分かりきってるんだよ。

それでも、辛いもんは辛いんだよ。

気付けば、大切な人の声さえもミュートして、さらに深い所までもぐりこむ。

もう、いいかな。

人生、もう楽しみきったんじゃないかな、と。

 

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「誰からも認められない」という錯覚。

「何をしても意味がない」という錯覚。

「自分がいなくなっても世界は変わらない」という錯覚。

これらは全部、独りよがりな勘違いだ。わかってる。

人が死んだら、世界は変わる。

近しい人の心が変わり、その周りの関係性が少し変わる。そうしてバタフライエフェクトのように、一人の人間の消失という小さな出来事は、世界を少しずつ変えていく。

誰にも迷惑をかけずに死のう、なんてムリなのだ。

この世に生まれた瞬間から、僕たちはだれかに迷惑をかけることを義務付けられている。その事実から逃れることはできないし、いくら抗ってみても他人と関わりをもった時点ですでに迷惑なのだ。 

 

人間は、孤独に一人で生きていけるほど強い存在ではない。 

本当は弱い。人と関わらないと、自分が誰なのかさえ分からなくなってしまうんだから。 

 

…何が言いたかったんだっけな。 

あ、そうそう。 

 

一人で抱え込むなよ。 

 

頼れよ。一人じゃないぞ。 

月並みな言葉だけど、辛い中でもあなたのことを認めてくれる人は必ずいるからな。 

 

忘れんじゃねーぞ。 

 

じゃ、またね。 

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