『天気の子』を観てたら、最近ある息苦しさの原因がわかった件

(ネタバレなしです) 

先日、劇場で『天気の子』を観てきた。まず観てよかった!! 

考えたことを書いていくよ。ちなみにネタバレなしだから、「まだ観てないよ!」って人も読んでもらえると嬉しいっす! 

   

 

正しさで語るのだるくね? 

この映画を観て思ったのは、「もっと失敗が許される社会にしていきたいな」ってこと。 

便利な世の中になってきたのに、なんとなく息苦しくない?  

ネット上に監視の目が増えて、気軽にミスするのが許されないというか。リアルでも何かあると肖像権とかガン無視してツイッターに動画上がったりするじゃないですか。  

その原因を考えてたんだけど、『正しさ』で語ってるのが原因なんじゃないかって結論に至った。  

正しいか、そうでないか、で語られがちだよなあと。  

   

正解ってなに?

もう過去の話になりつつあるけど、宮迫さん亮さんの件があった時のツイッターの荒れ具合が、ぶっちゃけ怖かったんだよね。 

議論がいろんな所に飛んでいくのは仕方ないとして、僕が気になったのは「正しさ」で語る今の風潮の方で。  

 

最近、ツイッター見てても「まあそうだよね」って思うような当たり前の意見しかない。 

それって少しでも尖った意見だと叩かれるから、本音を隠して丸くなってるんじゃないかなあと。僕もたまに「これ言って大丈夫かな」って不安になったりするし。 

関連記事:ゆたぼん   

 

個人の動向が、より多くの周りの目にさらされる機会が増えた。結果として、国民全員が監視員であって、判定員になってるんだよね。  

だからこそ、正解しか許されないような空気感の中で、生きてるような気がする。ちょっとでも「違うんじゃ?」って思うことをした瞬間に、集団から袋叩きにあう。うーんって感じ。   

   

正解ってのは、多数決のこと

より多くの人が信じているもの。

戦争はダメ、いじめは良くない、悪口はダメ、とかそういう。 

宮迫さん亮さんのやつもそう。  

 

そういう個人が主張する正当性で、顔を見たこともない人同士が議論できるのが今の社会なんだよね。 

ただ、正しさで語ってること自体が「息苦しさ」につながっている気がするんだ。 

  

 

正しさで語っても争いが増えるだけ

結局、正しさで語る限りは、争いは絶対に亡くならないと思う。 

YouTubeに、N国党の方がマツコ・デラックスさんにディスられたってことをアップしてたのをみて、「ああ、またか…」って。 

そして、視聴者を巻き込んで「これって良くないですよね!?」みたく煽って、次第に「濃いファンを獲得していく」と。 

でもその先にあるのって、やっぱり争いなわけで。 

  

これを観ている視聴者さんも

「ちょっとでも違うと叩かれるんだ」 

「晒されるんだ」 

「動いてケガするくらいなら、いっそ何もしない方がマシなんじゃ?」と思って黙っちゃう人も多いと思うんだよね。  

 

でも、せっかく便利な時代になってきたのに挑戦できないってもったいなくない? 

もっと気軽に挑戦したり、もっと間違っていいと思う。 

むしろ、もっと失敗してケガしていくべきだと思う。 

  

もちろん、先に述べた戦争とかいじめが良くないのは間違いないし、消さないといけないことも沢山ある。 

ただ、ミスそのものを悪と捉えるのはすこし違う気がする。 

  

ぼくも発信するときにめちゃくちゃ考えて、悩んで、誤解されないよう気をつけてるつもりだけど、それでも伝わらないこともある。 

叩かれることもあるし、たまに暴言も吐かれる。 

それでも、それで発信をやめることはないっす。 

一人一人がこの国民総監視員時代に生きているからこそ、自分の意見は発信していきたいなと。 

ぼく含めて完璧な人間はいないから。  

 

自分にできるのは、自分と違う価値観を持った人を見た時に「そういう考えもあるんだ」と尊重することなのかな、なんて考えたり。 

断罪するのではなく、尊重する。認めなくてもいいから、そう言う考えもあるのね、って。  

  

  

正しさで語るよりも、愛があるかで語りたい 

いきなりだけど、ぼくは「炎上商法」が苦手だ。 

ただ、似たような(?)お笑い芸人同士の罵り合いはそうでもないんだよね。 

その違いって、シンプルに「相手への愛があるかどうか」な気がして。 

 

以前、レペゼン地球がそんな感じになったのも、愛が足りてなかったからだと思う。(まあネタで済まされちゃうかもだけど) 

関連記事: 

 

普段から培ってきた信頼関係もあるけど、「あ、この人は愛があるな」ってのは相対していると自然と伝わってくる。 

ただ、個人レベルで「おもしろいことをして人を喜ばせたい!」ってなった時に、意外とこの「愛」が抜け落ちちゃうんじゃないかなあと思うんだよね。 

それプラス、ネット上だと愛が伝わりにくい。 

現場の空気感は伝えきれないし、一部を切り取っておもしろ可笑しく編集されたり。  

昔、お笑い芸人でも必要以上に激しく頭を叩いてツッコむ芸人さんとかもいたけど、全く笑えなかったんだけど  

それも愛が伝わらなかったからかなと。 

  

「正しさ」と「それっぽい正しさ」を線引きするとするなら、悪だと自覚していながら、表面的にはそう見せないような「確信犯」だけ。 

例えば、人の良心をもてあそぶような趣味の悪いドッキリとか。 

  

とはいえ、相手の意見を真っ向から否定するより、まず耳を傾けるのが大事なんじゃないかと思う。子供同士のケンカでも、だいたいどちらにも言い分があるように。 

 

まず話を聞いて、真意を知り、その上で分かり合えないならそっと離れる。 

これがやっぱり人付き合いの基本だと思った。  

 

  

最後に

ぼくは他人のミスに寛大になれるように成長したい。例え叩かれても、相手の過去の失敗を掘り起こして叩くようなことはしたくないな。

もっと、楽しい生き方ができるようにしていきたい。

そのために出来ることをしたいので、手始めに「滝行」で精神を鍛えなおします!そして一週間断食して、終わったら水だけで生活! 

は冗談として、最終的には、どんな人生を歩みたいんだろう?  

うーん。日々勉強だ。 

  

天気の子、めちゃくちゃ考えさせられるいい映画だった!

まだ観てない方はぜひ!

最新情報をチェックしよう!